トラウマ小説 ◆2◆ 発端

 うわさに聞いていた特盛のごはんが、目の前に用意されている。
「うへぇー」と、あちこちでおどろきとため息が聞こえてくる。あれほどバテたあとなんだから、食欲なんてあるはずがない。でも、逃げ道はもちろんない。
 どこからかピッ! という笛の合図がしたので、みんなでいっせいに食べはじめた。負けん気の強いぼくは、周りも見ずに猛然と食べすすめる。
 そしてものの5分でたいらげた。
 ものすごい量だった。でも、もう食べ終えたからぼくは安全だ。みんなは特盛の前にため息をついて、なかなかはしがすすんでいない。ぼくは、(ダセえよみんな)と、勝ちほこり愉悦にひたっていた。
 
〝このおごりが、のちの人生を左右していたのかもしれない〟
 
 少しだけ緊張しながら、ときが過ぎていく。
 不意に、左うしろの6年生チームの辺りで、なにやらワニブチコーチがだれかをいびっている様子がした。
「おい、もう限界か? なにやってるんだ。早く食べろ」
 食堂の空気は異常なほどに、ピリピリしている。
 つぎの瞬間、ぼくはおどろきのあまりガタンッと椅子を引いた。見るといびられていたのが、ぼくのお兄ちゃんだったからだ。え、お兄ちゃんがかわいそうに! ワニブチコーチは続ける。
「おい、食べられないのか? ったく、なにやってんだ。今村家ではいつもこうなのか? え、今村家では!」
 今村家ではだって? まずい、今度はこっちへ来ちゃうよ!    
 ぼくは立ちどころに、強烈な不安と恐怖を覚えた。そしていっぺんにたいらげてしまった食べ物が、気持ち悪さとともに口からゴボッと溢れ出た。視界に入るすべての目という目が、矢のようにぼくに向けられた。
「おい、どうした?」
 ワニブチコーチがのそのそと、こっちへやって来る。そして今度は、いびる対象がぼくに変わった。
 ゴボゴボゴボ……。「なにやってんだ!」ワニブチコーチがそばにいる。ゴボーッ! 「おい、なにやってる!」オーエーッッ!
 あっという間にすべてを吐き出してしまった。
 
 つぎの食事でも、ぼくには変化が現れていた。食べ物を口に入れる前も、入れてからも、油のニオイで吐き気がやまない。おえつが食堂中に響きわたる。おどろいた顔や、冷めた顔をして、みんながぼくを見ている。こんなのみっともない。
 ぼくをのぞくみんなは、暑さの中の特訓に慣れたのか。それとも空腹のため特盛りのごはんを食べずにはいられなくなったのか。いずれにしろ、ワニブチにいびられる人はだれ1人としていなかった。
 
 ぼくはだれもが油断しているときにコソッとたいらげてしまいたいんだ。途中じゃダメ。休まずにすべてたいらげないと、またワニブチがおおいかぶさってくるんだから。たいらげてしまえばもうなにも言われることはないはず。
 辺りはシーンと静まり返っている。なかなか隙が見つからない。ワニブチがこっちへ来るかもしれない。どうしてもダメだ、気持ちが悪い。オエーッと独り、なにも食べていないのにおえつが続いた。